「やれたかも委員会」が当たった。
6月の終わり頃、ニューヨーク旅行中にツイッターでダイレクトメールを受けとった。
「やれたかも委員会」という、WEBマンガの単行本販促用アカウントからだった。
”フォローをしてくれている人の中から、抽選で3名に単行本をプレゼントするキャンペーンを行っており、見事当選いたしました”という内容だった。
まさか当たるとは、というかこんなキャンペーンをやっていることすら知らなかったので、嬉しいというより、ものすごく驚いた。いや、かなり嬉しかった。
人生でクジが当たったのはこれで3度目。
1度目は、昨年のお正月に、家族で行った名古屋のデパートで3DSを当てた。ひつまぶしの店にはいるのに2時間近く並ばなければならなかったので、待ち時間の間に下階の家電屋でイヤホンを買った。そのレシートでクジを引いたら、みごと3DSが当たった。東京に帰ってから中古のスマブラを購入し、2週間後にはメルカリで13,000円ほどになっていた。
2度目は昨年の秋頃。経堂コルティの中にある、つくばクリーニングにスーツを出しに行った。隣にある宝くじ売り場で、1000円分のちびまる子ちゃんスクラッチを買ったところ、3000円も当たってしまった。宝くじを買うときは当たると思って買う訳だから、「当たった人はみなものすごく勘が冴えていた」と言えなくもないわけだ。つまりあの瞬間の僕はおそらく人生の中で最高に冴えていたと考えられるのだ。そしてぼくの最高潮はみごと3000円を記録した。そのまま隣のOdakyu OXでタコを買い、家で2000円分のたこ焼きを食べた。
そして3度目が今回だ。これに関しては、特に冴えていたと言うわけではなく、事務局の方々によって選ばれた訳なので、強いて言うならばツイッターのIDとアイコンに感謝である。
「やれたかも委員会」は、告白者が「あの時、もしかしたらヤレていたかもしれなかった」という体験談を審査会に対して打ち明け、ヤレたかどうか査定してもらうというコンセプトのマンガである。「やれた」という審査が下ったからといって実際にやれるわけでも無い。ただ、その胸のうちへ静かに帰って行くだけである。
まあこれが一応ギャグマンガなので、一応笑える。しかし、移入しやすい僕なので半分くらいはドキドキしながら読んでいた。
告白者は男だけではない。
高校時代の思い出を話す女性も登場する。
10歳以上年上の女性と転びかけた少年も。
初めてクラブに行った冴えない男子大学生も。
決して風化させぬよう、幾度となく反芻しては悶々とときめいていたに違いない。
なんと美しいことか。他国と比べ圧倒的にセックスの回数が少ないと言われる日本人だからこそ、あの、一度きりの、甘く切ない光を、後生大事に暖め続け、マンガにしたためそれを書店に並べお金に変えてしまうのだ。
これは、恋愛やセックスとはほど遠い人格破綻者や、とびきり冴えない青年の話ではない。同性や異性の友人を作り、それを恋人関係まで発展させる事の出来る多くの人たちの物語なのである。
一応単行本を受けとったので、勝手に応援コメント的なものであった。
おもしろいから、もっと話数が増えれば良いな。
僕はcakesで読んでたけどpixivその他サイトでも読めるぽいです。
日本人は、本当にやりたくないのだろうか。
周りの男友達は、皆どうにかして(時には怖いお兄さんに大金を払いながらも)やろうとしている。人妻と昼ドラみたいな事をした、という話も聞いた。
まだ20代前半だからだろうか。30代になれば、セックスなどどうでも良くなってしまうのだろうか。老後の蓄えを心配し、それどころではなくなってしまうのか。如何とも 信じがたい話しである。
それとも、日本人女性がとことんセックスに興味が無いのだろうか。
アイドルとBLによって去勢されてしまう、というのは真実なのか。こればかりは今のところ確かめようがない。それならば、どうして一生懸命街コンや合コンに勤しむのか。やはり将来が不安なのか。日本人を去勢するのは、「不安」か。
人は不安になると何となく人肌を求めそうだけども、そうでもないのか。
SNSによって築かれた精神的な結びつきがあれば、とりあえず問題無いのか。
もしくは、日本人は夫婦、恋人間でのセックスが少ないだけで、不倫浮気友達同士みたいなのは以外と多い、なんてことは無いだろうか。
アンケートの設問が「パートナーと月に何回セックスしますか?」みたいな感じになっているせいで、回答が極端に少なくなるだけで「あなたは月に何回セックスしますか?」と質問を変えただけで先進国に躍り出たりしないだろうか。
あの人妻との情事を熱く語ってくれたバイト先の先輩だった人は、性的な面においてスーパーマジョリティだったのだろうか。
まわりのみんなは、倫理的にまずいと踏んで口をつぐんでいるだけなのだろうか。
しかし、それはそれでものすごくイヤな国だ。
このままじゃ
この三連休の間に、家の中に蟻が侵入してきた。
なんとタイムリーなのだろうか。
小さな小さな蟻たちが、母親の陶芸用粘土を拠点に着々と赤井家への侵略を進めている。アナタの家にも小さな陰が、、。。
三連休は実に有意義に過ごす事ができなかったと反省。
そもそも休みがちゃんとあった事が驚きでありますので、棚ぼたというか、単にラッキーとか考えつつも、結局何もしなかった。
3連休と言いつつ、実際は金曜の夜から休みは始まっている訳であって、なんなら金夜に全エネルギーをつぎ込んだといっても過言では無かった。
おなじみ堀しゅんと飯を食おうと赤坂で待ち合わせるも、両親不在につき一人でお留守番中の犬を案じ、堀くんを家へ招待することになる。
適当に食べたあと、このまま金曜の夜を終わらせるのはもったいないので、映画を見に行こう、と調べる。六本木ヒルズのレイトで「22年目の告白」を見た。
どれだけ衝撃的にネタをばらすか、が鍵を握るストーリーの割にばらし方がイマイチ。
ぬるっとネタが割れるのである。
映画が終わったのが2時とかで、ちょっとTSUTAYAに寄り道。
スタバのエリアの机は、macbookを拡げる若者達で埋まっていた。
夜中の2時にヒルズのスタバで作業している人々はいったいどこに住んでいるのかが長年の疑問なのである。
あたりの超高級マンションに住み、ブランデーグラスをぐるぐる回しているような生活を送っているのか。革張りのソファーの横にはボルゾイが伏せり、キッチンでは撮影で疲れたモデルがたばこを吸っているのだろうか。いや、キッチンだと普通のアパートか。東京タワーを臨むベランダでくつろいでもらわなきゃ。
もしくは綾瀨か。4:00でスタバが閉まってしまうので、ヒルズの中で30分ほど時間を潰し、乃木坂まで歩くのか。5:08の始発にのって誰もたばこを吸わない六畳一間へと、うつらうつらしばがら帰っていく男の目には、煌煌と炎が揺れているに違いない。
しかっりと未来を見据えているはずだ。
このままじゃ死ねないな、と思う。
6月4日の日記
今日は高圧洗浄機を使って車や家の外壁を洗うなど、大変に日曜パパ的な1日だった。
思えば、足を痛めてから1ヶ月ちょい。治ってから約10日もジムに行ってなかった。毎月14000円も払っているのだから死ぬ気で行かねばなるまい。
家族と話していて、僕はそんなに鰻が好きじゃないかもしれない、と気が付いてしまった。
いや、好きじゃないってこともないけど、「私の好きな食べ物」に上がることは絶対にない。鰻の旨味の8割は"ありがたみ"だよな。フカヒレも同じ。
「夜廻り猫」をバックナンバーから読めるだけ読んでみた。
http://www.moae.jp/comic/yomawarineco
ハートウォーミング(人情的)過ぎて無職の自分には都合よく響きすぎて危険だった。すごくいい漫画なんだけどね。
明日はよくわからない会社の面接。
自分は一体何がしたいのがよく分からなくなって来ているところで、よく分からなく会社へ向かうのは無駄足になりそうだよなぁ。
無職でいることにそこまで抵抗は無いと言うことがわかったから一安心だけど、お金がないのはやっぱりしんどいので早く職を見つけなれば。
そのくせスーツは着たくないとか、面白い仕事がしたいとか、自分の能力に対して相変わらず要望過多なのでそう簡単には決まらなそうです。ファイトです!
おら、大人になりたくないんだべ!
最近、自分は快楽主義者なのではないか、と思うことが多い。
いや、そもそも〇〇主義者なのではないか?と考えを巡らせること自体おかしいのだけれども、行動の指針が現在の自分への快楽、その一点に集中していると気が付いた。あ、快楽ってセックスだけのことを言ってる訳じゃないよ。一応。
ていうか、「人間としてそれが普通だよなぁ」とかつい最近まで思っていたけど、案外そうでもないみたい。(おそい)
ていうか、多くの人はもう抜け出しているみたい。(おそかったか)
自分はやりたいこと以外はやりたくないマンだから、今の会社でやらされていることがもう堪らなくて、さっさと辞めてやろうと退職届けをしたためているゴールデンウィーク最終日。「やりたいことしかやらない!」ってなんだかカッコイイことを言っている雰囲気はあるけど、実際は極端に堪え性がないだけで、目標に向かってガシガシ進んでいくタイプとはまた違う。
どちらかというと、その「やりたいこと」の周りをうろちょろしながら、「裏口が空いてないかなー」とか「中から出てきた人が良くしてくれないかなー」とか思いながら、周りをふらふらしていて、いつの間にか「周辺」それ自体が居心地良くて、そこで生活しはじめてしまう感じ。
こうなっては、ものすごく始末が悪い。遠くからやってくる、自分より若くてずっと有望な方々に、あの外壁はどうだの、あそこの玄関はダサいだの、外からなら誰でも観察できるようなことを得意げに語るようなやつになってしまうのだ。
実際にそういう人を半年ほど前に目の当たりにしているので、笑い事ではないし、すでに半分くらいはそういう風になっているかもしれない。
おそろしや。
多分、快楽だけを追求するのは、体力も精神力もかなり必要で、そういう部分の大半を担ってくれているのは家庭環境や、友人との関係だったりする。幸か不幸か、自分はそのあたりの環境がほどほどに整っているので、快楽を追求することに対するハードルがものすごく低くなっているのも、ひとつの理由かもしれない。というか、コレが一番の理由な気もする。
とにかく、今の自分はものすごくアマちゃんなのであるな。じぇじぇじぇ。
ただ、今のままでどこまで行けるのかなーと気になる部分もあるし、できればうまいこと軌道に乗ってくれたらと思っている。しかし人生そう簡単には行かない(と色々な人が口を揃えて言う)ので、やっぱり自分をどこかで矯正しなきゃいけなくて、それこそがまさに「大人になる」ということなのかもしれないな。つまり、快楽主義ってのは簡単み言うと「こども」とも言えるかもしれない。もしくはバカ。
多くの人は、高校生くらいから少しずつ変わって行って、丁度良い年頃でキレイに大人になっているのだろう。
どっかで一気に矯正しようとするとやっぱり変なクセがついちゃって、例えば高校くらいまでヤンキーだったのが、突然「意識高い系」みたいになっちゃうのは、そういうことなんじゃないだろうか。急に変わろうとすると、ものすごく真面目なバカなってしまったりする。
ついでに言うとヤンキーは快楽を追求することにものすごく前向きな集団で(個人活動のヤンキーというのは見たことがない。)普通だったら、腰が引けちゃうようなことにでも、集団だからズンズン進んでいける。数は力。そして快楽は複数人によって形成される。個人の中に快楽は発生しにくいのではないか。宗教も食事もセックスも個人では成し遂げられない。
真面目なバカにはなりたくないし、大人にもなりたくない。
そうなると①ゆっくりと時間をかけて、大人になる。②バカなままでいる。のどちらかになってしまう。
おおかた①の方向に進みそうではあるけど、人生何があるかわからない。
と思おうと、ワクワクしてくるし、こんなにだらだらと文章を書いていることさえなにか素晴らしい意義が後からついてくる可能性も捨てきれない。
ああ、日曜日が終わってしまう。