2017/12/11の日記

金曜の夜は代官山UNITでエレクトロ系の深夜イベントがあったので一人で乗り込む。フロントアクトは知らないミュージシャンだったけど、DJが真鍋大度と柳樂光隆だったので行くことに。
最近クラブとかDJイベントに意識的に行くようにしている事もあり、音楽が鳴っている空間で適当に踊っている(というか揺れている程度だけど)ことに抵抗がなくなってきた。やっぱりDJイベントは良い音楽に出会うことが多いので、来年はもっと色んなイベントに行きたい。ちなみに昨日は柳樂さんが流していたこれが最高だった。


Ryo Fukui - Early Summer


たぶんyoutubeで見つけていたら、ここまではまっていなかったんじゃないかと思う。
爆音で出会うからこそ恋に落ちるのだなと実感。
ちょっと疲れてたので、2時頃に退散。タクシーで帰ろうと思ったけどなかなか見つからず、渋谷まで歩く。いっそこのまま家まで歩こうかと思ったけど、駒場あたりで面倒くさくなって結局タクシーに乗ってしまった。1850円。

帰宅後少しだけyoutubeをあさっていると、こいつに遭遇。


Charles Mingus - Moanin'


どうやらこいつらがビーバップというジャンルのよう。
すっかりはまってしまった。

 


土曜は昼頃からジムへ。泳ぎに行ったのだが、小学生のスイミングスクールが6レーンのうち5レーンを使用していたため、ジム利用者は残りの1レーンに押し込められ常に渋滞。本当は1時間半くらい泳ぐつもりだったけど、混雑に耐えきれず30分でギブアップ。
その後一回家に戻って、焼きうどんを作り、夕方までだらだらと過ごす。
17:30から渋谷のスタジオファミリアで秀平とひろみちさん(久しぶり)とセッション。個人的に”セッション”って書くより”ジャムってた”とか書いた方がかっこいい気がするんだけど、カッコイイ分なんとなく抵抗がある。
mxrのベースオクターバーを普段はlogic上で使ってるんだけど、実際にスタジオで使うと最高に使い勝手が良いことが分かった。
終了後焼き肉が食べたくなったので、たまたま見つけた金剛園という店へ。入り口が真っ暗で相当怪しかったが、大当たりだった。ここ3ヶ月くらいで最も満足度の高い食事だったのではなかろうか。一人5000円くらいしたが、全く不満はなかった。

 

 

日曜は、土曜と違うメンツでまたスタジオへ。もしかしたら、俺は相当暇な人間なのかもしれない。みんなどんな週末をすごしているのだろうか。
その後メキシカンカントリー居酒屋「居留地」へ。チリビーンズとステーキがおいしかったが、満足度の割にすこし高かった。一人5000円。
帰りの電車のなかでそのまま武道家に行くプランがよぎるがなんとか踏みとどまるも、家に帰ったあとすこしごはんを食べてしまった。痩せるはずが無い。

ミュージック・ヴィディオゥ

ミュージックビデオ

(以下MV)は、必要なものだろうか?

 

20世紀後半の音楽は、ミュージックビデオと一緒に育ってきた。

つまり、MTVの歴史であった。

沢山のMVが作られ、世界中のMTVで放送されまくっていた。

その歴史はプラットフォームをyoutubeへと移し、今でも連綿と受け継がれている。

 

その影でMTVはとっくに瀕死状態になってしまっているらしい。

ちなみに、Twitterのフォロワー数は13万人程度だった。(mikikiは11万くらい、luteのインスタも13万くらい。)一応、フォロワー数の上ではSNS時代のメディア達と肩を並べているが、現状は見るも明らかだろう。最後にMTVの話題を聞いたのが、いつのことだか分からない。(それとも僕の周りだけ、局所的に存在が希薄なのだろうか。)

 

そうしてyoutubeへとバトンが渡されることにより、誰でも作品を披露できるようになり、撮影機材は大きさもコストもぐんぐん下がり、誰でも動画編集まで行える時代になった。最高の環境下でMVの数は爆発的に増えていった。

 

喜ばしい事でもあるが、同時に無為なMV大量に量産されているように思う。

「とりあえず」で作れる時代になってしまったので、「とりあえず」作ってみる、という状況に陥ってしまっている。それでも、アマチュアのバンドにしてみれば、夢のような状況かもしれない。テレビの中で見続けていた、MTVやyoutubeで沢山見てきた、「あの」MV。それも自分の。嬉しくないわけが無い。何本だって作りたいはずだ。

そうしてできあがる、それっぽいMV達が山のように転がっている。(山は転がらないか。ゴミはさすがに言い過ぎだし、なんて言えば(略))

 

もちろん、ただの自己満足や、記念程度のものであれば、全く問題ない、というか、どんどんやっていくべきだと思う。なにかを作るのは楽しいから。

(または、自分たちの中でちゃんとした作品と位置づけている場合も、全く問題無いというか、誰かがどうこう言う話ではない。)

 

だけど、それがもし自分たちの曲や、グループをブランディングしていくための”手段”としての結果であるならば、この選択肢を一度疑って見るべきでは無いかと思う。

例外として、

・自分たちのイメージや世界感が、これでもかというくらい固まっている。

・潤沢な資金があり、独立した映像作品としておもしろい。

・ステキなアイデアがある。

・とてもセンスのいいAD的役割を担える人がいる。

他にもあるかもしれないけれど、この辺のどれかを満たしているのであればとても有意義なモノが作れるのでは無いか、と想像する。(もちろん、センスに関しては、自分たちで満足していれば問題無いけど。)

 

しかしどれも満たすことができず、低予算でそれっぽさだけを追求していくと、本当に無駄なものができあがる。ある程度知名度のあるバンドでさえ、そんな無味無臭で、とくに感想も沸いてこないようなものを作り続けているように見える。

たしかに、今までは、ミュージシャンが曲を作ったら、必ずミュージックビデオを作る必要があったのかもしれない、でも本当にいまでもそうなのだろうか。

 

 

僕は、の様子を撮影し、youtubeなりにあげていく、というのが有効な手段の一つであるように思う。

▼モノ<体験ベースの消費が好まれ、CDの代わりにライブが売れている。つまり、自分たちの宣伝メディアもライブの良さを伝えるツールとして使用するべきではないか。

▼仮に↑で考えてみると、実際の演奏をそのまま撮影したスタジオライブのほうが自分たちの実力も、魅力もダイレクトに伝えられるのでは無いか?(良くも悪くも)

アートディレクションに注力しまくる必要がないので、曲や演奏のクオリティに時間もコストをさく事ができる。

▼本当のライブだと撮影も録音もそこそこハードルが高い。

▼たぶん定点だとつまらないから、その分撮影がむずいので、敷居が高い。しかし、そのほかの有象無象と差別化を図れる。

▼しかもMVを作る資金で、同じように外部委託できる。はず。

▼あとVJの友達がいれば、おもしろいコトできそう。

その他諸々

 

まあごちゃごちゃ書いてきけど、個人的にスタジオライブの様子が好きってのが大きいな。(それしか無いとも言えるけど)

スタジオライブそれ自体が限りなく正解に近いとは思わないけど、適当なくそダサいMVを作るくらいだったら、スタジオライブのほうが有効だと思う。スタジオライブがダサかったら、そのバンド自体も(ライブにおいては)ダサいってことも判明するわけだし。

逆を言えば、演奏や歌じゃなく、雰囲気とか、ビジュアルとか歌詞が武器であればMVはとても有効なんじゃなかろか。あとお金が沢山あって、女の子がめっちゃかわいい映像を作って、それ目当てで来た人で視聴数稼ぎまくるとか。

 

結局何が言いたいかと言うと、今の時代において、ミュージックビデオだけが選択肢じゃないから、自分たちに合った選択をとったらいいと思います。 

In the pool

 

平泳ぎ

に、はまってしまった。

 

ジムで筋トレを終えた後は、ランニングマシーンで走るようにしていたのだが、せっかくプール併設のジムということで、泳いでみることにした。

そもそも長距離長時間走るのが大嫌いだったので、いつも30分程度でやめてしまっていた。なかなか実を結ばぬダイエットだが、ここに来て希望の光が見えてきた。

1時間ぶっ続けで泳いでも、まったく精神的な疲労がなかった。

明らかに光がさしている。

 

もちろん泳ぐのだって全く楽では無いが、走るのと比べ圧倒的に気分が良い。

それは、巷間言われる胎内回帰的な羊水の連想のせいなのかもしれない。あるいは小さい頃からスイミングスクールに通わされ、旅行の時は必ず海に連れて行かれ、中学生では6キロ泳ぎ続ける遠泳合宿があったせいかもしれない。

 

泳いでいるのは非常に気分が良い。

塩素の香りも、まとわりつく温度も、水中の沈黙も。

走っている時は、いちいち汗をぬぐって、マシンの上に置いたiphoneを気にかけつつ、イヤホンの位置を逐一調整して、目の前に表示されるがなかなか伸びない走行時間、距離と消費カロリーにストレスを感じ、、、といった色々がまとわりつく。

 

それと比べ、水泳はストレスからの解放であった。

汗をかいていても分からない。

スマホはロッカーの中にあるので気にならない。

イヤホンをつけなければ、選曲で迷う事も無い。

目の前にはボタンもモニターも無く、下を見れば整然と美しくタイルが並び、水面に屈折する光が浮かんでいるだけだ。

 

中でも特に驚いたのは音楽を聴かないことによる、リラックスだった。

ランニングマシーンの上では、自分の足音とそれによって機械が軋む音が耳障りだし、何よりものすごく退屈なので、音楽を聴かざる終えない状態だった。

しかし、泳ぐとなるとどうだろうか。

水中は静かなので、何を気にかける必要いは無い。

そして、不思議なことに考え事をする余裕があるので、全く退屈しない。

 

かといって、消費カロリーが少ないかと言われると、全くそんなこともない。

ランニングにだってひけをとらない。おまけにプールはいつもガラガラ!ランニングマシーンは順番待ち!気づいてしまった!!!これこそ、社会において搾取する側とされる側の違いだ!!走るな!!泳げ!!このまま勝ち組になるぞ!!!!!!!

 

 

ちょっと熱くなってしまった。

勝ち組だか負け組だか月組だか星組だか花組だか雪組だか宙組だか知らないが、とにかく泳ぐのは最高なのだ。

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ここから洋服(!?)を脱ぎ捨て、「さあ!ぼくと一緒に泳ごう!」と言い、水着姿になる感動的なシーン。

 

 

ジムにおける水泳人口の少なさは、「面倒くさい」からなのかな。

女性は髪の毛を濡らすだの乾かすだのあるし、水着を揃えたうえ、ダイエット中なのの人前で水着姿にならなければいけない、みたいなことに少なからず抵抗があるように思う。

かくいう僕も、まあ抵抗が全く0だった訳では無い。

情けない話だが、ダイエット中なので。

しかし、そんなコストを払ってでも、泳いでみる価値は十二分にある。

もちろん走るのが好きな人は、勝手に汗でべちょべちょになりながら、そこらへんをバタバタ走り回っていればいいんだけど、

そうではない、才気に満ちあふれ、人格も優れ、思慮深い賢者諸君には是非とも泳ぐ事を強く強くお勧めしたい。

 

 

 

 

 

 

 

ひとはなぜ「三択」が好きなのか、その謎に迫る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うそだ。

三択の謎には迫らない。

 

ダイエットのために、11月からフィットネスジムに通い始めた。

その名も「スポーツクラブ&スパ ルネサンス 経堂」

ルネサンスはフランス語で「再生・復活」を意味し、文字通りぼくはかつての体型をこの世に復活させ召喚するためにミシミシと通っている。

 

平日は仕事のせいでどうせいけないだろう、と考え、週末利用に限定した「ホリデー会員」にしているのだが、これで毎月¥8,075だ。

再生作業も安くはない。

 

僕は過去に2度、ジムに通っていた時期が合った。

最初は「ゴールドジム 代々木上原東京店」(東京以外にも代々木上原が存在するのか??) 2度目は「フィットネスクラブ ティップネス明大前」だった。

通勤経路が変わるごとに場所を変更していたので、いずれも半年くらいでやめてしまった。

 

どの系列でも、自分のメニューは大して変わらないので、とくにどうということはないが、やはりゴールドジムには筋肉ダルマのような方々と、キレイな女性が沢山いた。

ティップネスは何でもない街のフィットネスクラブで、会員の殆どがエアロビクスなどのプログラムクラスへ参加しにきたおば様方だった。

そして現在通っているルネッサンスは、おば様とおじ様がまんべんなく分布し、さぞや高齢恋愛が盛り上がっているに違いない。

 

「狂おしいほど燃え上がる」と随分な見出しをつけているが、痴呆によって外れたストッパーがそそり立つお茶目なエピソードを導入に老人の性事情と、その性愛がざっくりボケ予防につながるとかそういう内容。他人事ではない。

 

そしてジムをわたり歩く僕は一つのことに気がついた。

 

ジムに通う女性は、その年齢に”正比例”して肌の露出面積が増えていくのだ。

 

念のため確認するが、若い女性よりも、おば様の方が露出が多いのだ。

 

つまりおば様の方がセクシーなのだ。

 

所謂”美魔女”的な人ではない。

その辺にいる普通のおばさんだ。

普通のおばさんってなんだか失礼な表現かもしれないが、とにかく何でもない、スーパーのレジにいても、肉屋でコロッケを売ってても、飲み屋を切り盛りしてても、全く違和感のない、日本中に広く(そして深く!!!!)生息するあの!

あの、おば様方が、だ。

セクシーなのだ。

 

いや、批判している訳じゃない。

おばさまがどれだけセクシーだろうと大変結構だ。

その色香で欲求不満なお父様方をたぶらかし、ボケでもなんでも防止して、日本の貴重な労働力として今後とも元気によろしく働いて頂きたい。

大変素晴らしいことだ。

 

でも、

 

それでも、少し納得できない。

 

どうして、年齢が上がるにつれて布面積が狭まるんだ。

 

たとえば、ギリギリ色々と保てている40代くらいがピークに来るのであれば、分からない事も無い。しかし、40代より50代が、そして50代よりも60代の方が、明らかにセクシーなのだ。もちろん、年齢は目測だが。

 

いくつか仮説をあげよう。

もちろん三択だ。

 

①若造に負けていられない

まあ、本命である。ちょっと年齢が若いだけの小娘(推定45歳)なんかに負けてたまるもんですか!と心の中のお蝶婦人が燃え上がっているのだ。

 

②感覚が麻痺してい。

長いこと通っているせいで、どんな服装が正しいのか分からなくなってしまったのだ。だとすれば、少し哀れかもしれない。

 

③無頓着になっている。

大穴。もう服装などどうでも良くなって、楽な方へと軌道修正し続けた結果、気がついたらあんな姿に。

 

自分であげて置いてなんだが、③はあり得ない。

彼女達の瞳の輝きにそんな生ぬるい話が通じるものか。

それかあれか。天国の環境に慣れておくためか。

みんなすっぽんぽんだから、死期が近づくにつれ、新しい環境に順応しようとする体の働きかもしれない。

 

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見事なすっぽんぽんぶりだ。