Where is China!
まずい飯の話をちょっだけ書いた。
それでは、旨い飯とはなんだろうか。
蕎麦と中華である。
もちろん寿司も、焼き肉も、パスタもおいしい。
牛や魚、小麦たちがその身を賭して僕の活力になってくれているなんて、あまりに感動的である。頬を濡らさずに、どれだけ彼らのことを想うことができようか。
しかし、蕎麦と中華は別である。
そばといっても、冷たいものに限る。
暖かいつゆに浸かった蕎麦には、正直いってげんなりしてしまうのだ。
つゆが温かいならざるで用意し、付け汁で食べたい。鴨がいい。
そしてなにより、天ざるそばの存在である。
江戸時代には、天に捧げる(すなわち将軍さまのための)料理として名付けられ、その歴史に栄華を極めた”天ぷら”があり、今や世界を股にかけるSUSHIと並んで庶民のファーストフードとして愛され続ける”蕎麦”がある。
そして、お上と庶民を繋ぎ合わせるように、天ざるそばが誕生する。
それはまるで、おててのしわとしわが合わさるように。何を歌っていても自然と青雲の歌に行き着いてしまうように、至極自然であり、しかしなんと劇的なできごとであった。
天ぷらは何を上げても天ぷらであり、レパートリーは文字通り無限大である。
誰しもが、心の中に自分だけの天ぷらを揚げているのだ。
海老を揚げる正直者もいれば、茄子を揚げる上品な方も。
若者には豪快なかき揚げが人気ではないだろうか。
あとは、自分の心のなかにある天ぷら鍋から弾ける油の気づくかどうかである。
気がつかずに焦がしてしまっては食材たちが浮かばれない。
「どれだけ早くその”声”に気がつくかで人生は決まる」と彼の将軍は遺したとされるほどだ。
ところで、中華の話しはどこへいったのだ。