最近の僕は、

フィルムカメラが楽しい。

 

新品のフィルムを、箱から出す瞬間が嬉しい。

そのフィルムを入れるために、裏蓋を開けるのだって、なかなか良い。

フィルムをセットし、蓋を閉じる瞬間なんて最高だ。

 電池式のコンパクトカメラ(デジカメみたいな見た目の、画像確認用の画面が付いていないアレ)だったら、蓋を閉じると自動でフィルムを巻いてくれる。

「ジーーーーっ、カチョン」と音がして、それがたまらない。

 

電動じゃないカメラは、1回撮るたびにフィルムを巻かなきゃいけない。

でも、そのフィルムを巻く瞬間のワクワクったら無い。

その瞬間には、多分色々なことを考えていて、

今のはなかなか良かったかもしれない。

次はなにを撮ろうかな。

ちょっと失敗したかも。

とか、ワクワクを考える時間がある。

そういう無駄な時間の存在は、とても良いことのように思える。

 

でも、やっぱり一番嬉しいのは、写真を現像しに行く時。

どうせ、まだ上手に撮れないのはわかっているんだけど、あのワクワクはちょっと異常だと思う。

小学生の時、普通に「写ルンです」を使っていたはずなんだけど、現像の瞬間にここまでワクワクしていたかな。もう言ってしまえば、この時間のために、フィルムカメラを使っているんだと思う。

誰が言っていたか忘れたけど、「ライブのチケット代、8000円のうち、一番最初のあの一音に7000くらい払っている」みたいな事を言ってて、フィルムカメラもわりと似たような話だよな、って思った。

勿論職業としてのカメラマンや、ものすごくこだわりが強い人は除くけれど、そういったワクワクをカメラを媒体にして得ているのではないかと思う。

 

 

当たり前だけど、デジタルカメラが悪いとは思わない。

スマホのカメラなんて、人類が永遠に使い続けるんじゃないかと思うほど 、便利だ。

僕を含め、大学生の多くが、カメラを始めるきっかけとなるデジタル一眼なんて、誰でも驚くほどキレイでカッコイイ写真が撮れる。自慢じゃないけど、自分で撮影したなかにも、なかなか悪くない写真だって少しはある。

 

でもやっぱり、フィルムカメラで撮った写真とは違って見える。

それは、思い込みである可能性も大いにある。

それを差し引いたとしても、今の僕は、フィルムカメラに対して異様にワクワクしている。

フィルムだって安くない。現像するにも、フィルムを買うのと同じぐらいお金がかかる。

デジタルだったらバッテリーの充電にかかる電気代ぐらいの所を、多少無理しながら楽しんでいる。

 

無理してまでやることないでしょ。と言われれば、まあそうなんだけど、やっぱり多少の無理は気持ちいいのよね。自分はいま、ステキなことをやっている。ステキな写真ができあがるに違いない!なんて思うと、自己肯定感が高まっていく。

言い方を変えると、「ロマンがある」ということなのかもしれない。

人間は誰だって、ロマンを感じたいわけでしょ?

自分でもちょっとおかしいんじゃないか、と思っていることや、別にやらなくても良いことをやるのが、嬉しいでしょ?

音楽だって、映画だって、文章だって、最初はそういう所だと思っている。

かっこいいとか、カワイイとかってのいうのは、結局は大きくロマンの一部だもの。

 

このようにして、自分にエールを送ることによって、自分のなかのロマンを殺さないようにすことも、一つ大事なことかもしれない。ロマンの死こそ、人生の墓場かもしれない。

 

そんなフィルムカメラへの執着だって、半年もすれば消え失せてしまうかもしれないが、それはそれで良いと思っている。お金も時間も沢山使うことになると思う。

だけど、ロマンにだけしがみつくことさえ避ければ、悪いようにはならないはずだと思っている。ロマンを動かすのは、お金と、余裕だ。

 

それでも、自分に新しい家族ができたら、考えがガラリと変わるのかも。