すいません、家に忘れました。

頭することが、ものすごく苦手だ。

 

なにか作業をしている時もそうだし、

バスケの試合の時も、ライブを見ているときも、恋人との時間もそうだった。

一瞬熱狂することはあっても、すぐに我に返ってしまう。

どうしてこんな事をしているのか、と思考を巡らせてしまう。

最近この、「我に返る」瞬間が、ものすごく嫌になってきた。

自分の集中力のなさを、逐一知らされているような気がするから。

 

集中力のなさが役に立つ場面はあるかもしれないけどさ。

 

でも、我を忘れることができる人なんて、どれだけいるのだろうか。

周囲の音が一切入ってこないほど、作業に没頭していたり、

時間の経過を忘れるほどの体験をしたり。

いや、いるんだろうな。

恐るべき集中力を持つ人々は確かに存在するはず。

生み出す人たちは、みんなそうだ。

なにかを生み出すには集中しなければならない。

その時の集中の度合いこそが、質を大きく左右する。

 

反対に、生み出されたモノを楽しむためにも、集中力が大切だ。

映画も、音楽も、小説も。

高度な集中が、自分と作品を強く結びつけ、奥深くまで導いてくれる。

 

こんなステキなことは、他に無いと思う。

全てをなげうってでも、集中力とは仲良くするべきだ。

 逐一自分を省みている必要なんて無い。

全部忘れ続けてしまうのが、一番だ。

そうやって、人類は進歩してきた。

いや、話しが大きくなってしまった。

人類の進歩はよく分からない。

でも、自分が前進するには、集中が必要だ。

もっともっと忘れ無きゃ行けない。

 

 

 

人に忘れられてしまうのは悲しいけれど、

自分が忘れてしまう分には、ちっとも悲しくないよね。