石の上で気づくこと

広告業界という場所が嫌いだ」ということに、ようやく気が付いた。

 

大学の3年生で就職活動を始めるにあたり、好きなこと×仕事になりそうなもの、という視座で考えた末、コピーライターなんか良いじゃないか、と当時の僕は考えた。
どうしてそんなことを考えついてしまったのか。仲の良い友達が目指していたから。言葉を扱う仕事である=つまりなんとなくクリエイティブな感じがかっこよかったから。言葉が好きだったから。広告というワードを避けるのであれば、理由は色々と思いつく。
親に高いお金を払ってもらい講座に通っては、その日の優秀者に渡される「金の鉛筆」に本気で喜び、登壇する講師達のどこか飄々としながらも熱い知性に胸を打たれては、彼らの教えを忠実に守った(時期もあった)。名作コピーをまとめた本を眺めてはああ、なんてステキなんだ。かっこいいなあ。と本気で心酔した。

それから、就職活動がうまくいかずアルバイトをしながら、やっとの思いでコピーライターとして入った会社を半年でやめたあと、親のツテを使い広告代理店に営業職として入ったのが去年の7月だった。とりあえず業界の中で経験を積み、それを生かしてクリエイティブ職に転職しよう、とぼんやりと考えていた。
しかし、ここで僕は気がつく。


24年間の人生で、広告(やそれに類するもの)が好きだったことなんて、ただの一度もなかった、ということに。


名作と呼ばれるコピーに胸を打たれたのは本当だったが、それはあくまで言葉の使い方やポスターのデザイン、CMのシナリオに感心していたのであって、「広告」という企業が行う経済活動を眺めたことは一度も無かった。商品がどれだけ売れようが、企業の好感度がどこまで落ちようが、そんなことは本当にどうでも良かった。(ついでに言えば、今もそう思っている。)

 

しかしなんというか、よくぞここまで気が付かなかったものだ。ここに辿り着くまでに3年近くも費やしてしまった。高校生の間ずっと考え続けていたことを卒業を目前に霧散させてしまったのだ。あまりに笑える。
少しだけ惨めなのでちょっとだけ僕の3年間を擁護してみよう。
まず、『コピーライター養成講座』なんてものに通ってしまったのがいけなかった。同じ志を持つ若者が集まり、授業を受け、酒を飲めばそりゃあ熱くもなりますよ。そして、講座の内容だてなかなか捨てたモノじゃ無かったように思う。何せ○十万という単位ですので、そりゃ無駄にはできない。現状無駄だとしても、これからどうにかしないとイカンです。全然擁護できていない。まあ、こんな世界があった、友達もできた、それでひとまずOKということにしよう。コスパなんて考えていては真人間になってしまう。

 

んで、色々とあり広告業界で真面目に仕事をしてみた結果がコレでしたというわけ。
もちろん、まだまだ下っ端も下っ端、仕事の旨みを味わっていないし、心棒に触れるまではあと10年はかかるぞ、と言われればそれはまあ正しいのだろうけれど、いかんせんモチベーションを支えるものが全く無いのでは厳しい世界。
TVCMも、ポスターも、WEBサイトも、プロモーションイベントも、ダイレクトメールも、タレントも、ほんとは全然興味なかった。プロモーションに使われる音楽もミーハーっぽいな、とか思って少しバカにしたりもしてる。なんなら全てのコンテンツ、プロダクト、サービスから企業の名前とロゴを消してしまえばいいとさえ思っている。というのは言い過ぎにしても、やっぱりどうだか、興味が無いものを好きになるのはなかなか難しいですな。

 

こうして、自分の過去や現在に不平を垂らしているのは「何となくうまくいっていない」という認識があるからで、もし順調にコピーライターになって、あまつさえ広告賞みたいなものに引っかかっていたりしたら、多分今みたいな感想は漏らしていないだろう。「ああ、この業界に飛び込んでよかった!」「厳しい世界だけど、生き抜いてやるぞ!」とか思っていたのだろうか。もしかしたら「あれ、広告好きだったことなんてあったっけ?」と気が付くまでに、10年くらいかかっていたかも知れない。(それはそれで正しい道だけども)そう考えると、今の情況も少なくとも最悪ではないと思える。人間前向きに生きなければいけない。前はどっちだ。僕はいったいなにが好きなんだろうか。やっぱり音楽か。

 

今週はざっくりと、金曜日の夜は日比谷TOHOでレディプレイヤー1を見た。土曜日は午前中仕事にかり出され、午後は髪の毛を切ったり本を読んだり、非常にのんびり。日曜日は大谷さんと目黒シネマにて大林宣彦特集で「花筐」と「HOUSE」を見たあと、新宿に移動し御苑を少し散歩して、夕方ごろ解散。自宅にて餃子を食す。

 

せっかくなので、並べる2曲には何らかの共通点を持たせているのだけれど、今回は若干無理矢理で、〈2ワード以上使ってるぽいけれど、間にスペースが入っていないミュージシャン〉

一組目はKIDSAREDEAD
カタカナで書くと、キッズ・アー・デッド

https://soundcloud.com/botanical-house/kidsaredead-she-loves-me
Vincent Mougelというフランス人により一人ポップユニット。いわゆるCorneliusスタイル。lamp主催のボタニカル・ハウスってレーベルから出しているみたいです。海外のアーティストを日本のレーベル(しかもインディ)からだすのって、あんまり話を聴かない気がするのだけれど、それ自体はそんなに珍しくないのかな?そのあたりはよく分からないけれど、とても切なくて良い曲です。トラックや聖歌隊のようなコーラスの浮遊感に対して、地に足が着いたしっかりとした歌声がぐっと来る。おまけに泣きのギターソロ。本当に最高だ、、、。

 

2組目はJameszoo
カタカナでかくと、ジェイムス・ズー


Jameszoo - 'Flake'


こっちもミシェル・ファン・ディンサーって人の一人ユニット。またもやCorneliusスタイル!みんな大好きBrainfeederで、エレクトロベースのポップスとサウンドアート系っていうか実験音楽を9:1くらいので混ぜた感じの人。もう色んな音がまぜこぜになっていて、相当クセは強いけど、メロはそれなりにキャッチー。音の使い方が相当キュート。攻めまくりの曲達。最高ですな。やっぱりベースはジャズのようで。アルバムにはサンダーキャットやらリチャード・スペイヴンやらが参加しているので、もちろん演奏は文句なし。