余興、ご祝儀、カタコト神父
日曜日は同僚の結婚式でした。
結婚式に参加するのはこれが初めてだったので、結婚式という文化に対する興味、違和感が強過ぎて、正直お祝いなどしてる場合ではなかった。
当たり前だけども、結婚式とは宗教儀式である、ということを強く認識した。
男性はスーツを、女性はドレスを着て、カタコトの神父さん(は日本文化!といった感じだけども)がいて、聖書を読んで、みんなで賛美歌を歌って、イエスに誓いを立てる……、どっからどう見てもキリスト教じゃないか。それをみんな当たり前のように「結婚式」という文化として消化していて、その過程を見ることでやっと今までの結婚式のイメージに近づくことができた。
翻って細部を見ていくと、今度は異様に根強い日本文化を感じる。新郎新婦の母は絶対に着物だし、ご祝儀袋には旧字体で文字を書いてピン札を突っ込む。「余興」という呼び名の催しが行われ、桐箱に入った「引き出物」が渡される。そして普段は絶対に使わない最高に丁寧(でるとされている)しゃべり方で、友人や家族に語りかける。結構いびつだ。そしてマイクをもつ人間全員が10割増しでうやうやしくしゃべるなか、どうして外人神父だけカタコトなのだ。神の赦しがあるからか。とっても不思議だ。
もちろんこれはコレでひとつの日本の文化として完全に定着しているわけだし、それなりに感動的で、それ故やっぱり憧れる人も結構いるみたいだから、やりたい人は勝手にやったら良い。ただ、おそらく僕はちょっとできない。イエスに誓うか?と言われてもイエスの存在を感じたことがないので、あんなに堂々と「誓います」と言える自信がない。あくまで形式的なものであることはわかっていても、絶対に口ごもってしまう。信心深いので神様の前で嘘はつけないよ。
色々文句というか愚痴を書きましたが、本人たちが幸せであればそれでよい。カタコトの神父だって、カタコトに話すだけで仕事がもらえるのだから、いいじゃないか。(ふと思ったのだけれど、日本で結婚式に”使われる”神父さんって全員白人だよね。)幸せは人それぞれである。
それにしてもパンがうまかったなあ。
VULFPECK /// Birds of a Feather, We Rock Together (feat. Antwaun Stanley)
12月9日について
しばらくブログを書いていないと、なにを書けば良いのかわからなくなってしまう。
「習慣」というのは決まった時間にきまったことをやるだけでなく、その習慣のために生活の時間を使い、考えながら生活を送ることなのかもしれない。
つまりブログや日記を書く習慣をもつ人たちは、普段からそのことを意識して生活をおくるので、ある程度は自然とアイデアのストックができるのだな。自然と貯金を貯めていくことで滞りなく習慣を達成し、よいサイクルが回るわけだ。
いろいろと考えごとをしていても、その使い道が決まっていないとあんまり意味がないんじゃないか、と最近思いはじめた。が、ちょっと即物的すぎる気もする。どうでしょうか。ざっくりとでも目標が定まっていれば、世界をどうやって解釈するべきなのかも自然と見えるわけで、逆によりどころが存在しないとなにを考えてもあっちこっちに散らばって、頭の中に何も残らないような。だけども散らしまくっておいて、長い時間をかけて伏線を回収していく方法もあるようなないような。こればっかりはやってみないとわからないですね。
今週は同じ日の昼と夜に焼き肉をおごってもらったり、飲み会の日程を一週間勘違いしたりしながらも、平和に終えることができました。
今日は新美で『もしかする未来』展を見に行ってたくさんわくわくしたり、無印良品でタートルネックのセーターを買い、中目黒の最高な本屋で昔のReluxとかCy Twomblyの最高な写真集を買ったりした。
最近新しいMacbook proを買いまして、15インチなんだけど明らかに失敗したな、ってことに気がつき始めて、これがまあ重いんですわ。13インチ使ってる時は画面がちょこっと小さいなとか思っていて、でもいざ大きくしてみるとたいして必要もなく。かといって13に戻せばこれまたやっぱり画面のサイズが気になり始めるわけなんだよな。
というのも、最近トートバッグを使いはじめて、今までリュック中心の生活を送ってきたぼくからするとかなり革新的な出来事なんだけど、PCをバッグに入れると右肩がもげそうになるのですよ。じゃあ左にかければ良いだろうなどと言うなかれ、トート初心者にそんな器用な真似はできると思ったら大間違いだ。
2:30になってしまった。
内向きでよかったよかった
あんまり活用できていない(しかも分割支払いが終わっていない)ipad proとApple Pencilをどうにかしてやろうと思い、アニメーションを作り始めました。
生まれて初めてアニメーションを作った。
— あかいだいすけ (@daaaisuuukeee) 2018年9月18日
小4とかでもいけそうなクオリティだけど、結構楽しいし嬉しいということがわかった pic.twitter.com/MGkRKl4uJc
とはいえそんな大層なものではなく、長さは10秒程度、画力は小学生レベル、内容はゼロ。みたいなどうしようもないものなのだけれど、これがまあ思ったよりもずっと楽しい。パラパラマンガくらいなら誰しも作ったことがあると思うんだけど、これが1枚の画角の中で動画として再生されるとかなり感動するのです。我ながらなかなか良い趣味ができたと思う。
とりあえずそれようインスタアカウントを作ったのでフォローしてくれると嬉しい。
クオリティは段々と上がっていく(はず)です
https://www.instagram.com/go.to.the.umi/
あーよかったよかった!なんて思うと同時に、自分の趣味たちのあまりの内向き具合に少しだけ不安を覚える。音楽を聴くのも作るのも、ブログを書くのも、アニメを書くのも、写真を撮るのも全部一人遊び。もう少し他人と協調しながら何かをつくることも始めた方がよいのだろうか。 どうですかね?
金〜土曜は出張で札幌へ。
準備期間、クライアントにも社内の人にも怒られまくりだったので、かなり憂鬱だったけれど、意外となんとかなってよかった。
金曜はほぼ前泊というか、かるく準備したのちジンギスカンを食べたり味噌ラーメンを食べたりやりたい放題でした。北海道の人の「生なまら」をはじめて聞きました。
ジンギスカン屋のおばあちゃんの「はい、なまらしゃっこい(冷やっこい)生ビール〜」はかなりぐっときましたね。
土曜の昼頃におおかた仕事が終わり、その延長でJリーグの試合を見たり、空港で爆買いしたりでなんやかんや楽しかった。
日曜は、本当はクラクラのツアーファイナルw/ものんくるだったのだけれど、電車が止まってしまうとのことで中止に。まあこればっかりは仕方ないですな。
でも台風の情報に対して事前に対策をとるようになったのはとても良い変化だと思う。それに、電車に合わせて沢山のお店が早仕舞いしていて、東京ではなかなか見られない光景。この調子で大晦日〜3が日も余計なお店が閉まっていくと、個人的には嬉しい。
働き方改革の鍵は交通系統にアリ。なんて簡単な話ではないのだろうか。
一番好きなミュージックビデオはなんだろう、と考えいくつか候補をチョイス。
しようと思ったけどあんまり思いつかなかったので、2つだけ。
Never Catch Me/Flying Lotus
Flying Lotus - Never Catch Me ft. Kendrick Lamar
いまさらどうこういうまでも無い名作。
曲の良さに映像が引っ張られてるでもなく、単に面白くてスゴイ映像がくっついている分けでも無く、とんでもなき高い次元で音と映像(ダンス)がリンクしていてもうお手上げ。
このラインでいくとThis is Americaも好きだけど、あまりに最近かつセンセーショナル過ぎたので、いったん無し。
●番外編
お皿を洗っていると絶対に思い出し、曲が頭のなかで流れ出すので。
魔法
本格的に転職活動を始めました。
つっても、エージェントに登録して定期的に情報を貰って云々、みたいな感じではなく、気になる会社があれば履歴書を送る、という感じです。それでも、入ってから「やっぱり違う」みたいなことはあるのだろうな。であればいまのままでも、、、とぐるぐる考えてしまいます。
とにかく、〈物作りをする〉を目標にがんばるので、応援よろしくお願いします。
やっぱり、人は応援されたいので。
土日はみんなでキャンプへ。
自然やアクティビティよりなにより、〈たき火〉を楽しむことが個人およびチームの大目標。結果は無事達成。よかったよかった。あとはいつも通り肉を焼いたり、カレーを作ったり、蕎麦を食べたり、、、、、。
たき火とはいったいなんなのだろう。どうしてあの空間には堪えがたい魅力が宿るのだろうか。例えば、火力がランダムで変わりながら、パチパチと音をたてるガスコンロがあったとして、それを星空の下皆で囲めばたき火として成立するのだろうか?どこまでが発火の領分でどこからたき火へとかわるのだろう。たき火とは現代にいまだ残る魔法の一つなのだ。
どこでも使える仮想たき火マシンの需要は計り知れないと思う。MITメディアラボには急ぎ、《Virtual Bonfire》(仮想たき火)の開発を進めてもらいたい。原発や自動運転に僕たちの心を開くことはできない。VBだけが、都市の病を癒やしていく。現代の魔法使いという肩書きがまんざらでもないのであれば、まずはVBの開発に着手してほしいよ落合陽一。
〈幸福な社会〉とはたき火の自由を約束された社会である。(そろそろいいか)
月曜はあーやと奥田と台湾の計画をたててから、若柳宮の第6講のためにTOTいき、文房具を買ったりゲラゲラ笑ったのち表参道のアップルストアによってから帰宅。家でうどんを食べる。
みんなで遠出すると、必然的に沢山写真をとりあうことになるのだけれど、自分のアゴがすでに失われていたことにようやく気づくことができた。頭の中だけで作り上げられる想像上の自分と、写真に残されてしまった姿勢の悪いデブとを比べる耐えがたい作業を通じて、ぼくは少しだけ大人になる。つまり、努力して痩せるか、今のままの自分を受け入れて貰うかどうしよう、と汚い計算を始めるのだ。すこしくらいなら今のままでもいけるぞ!みたいな邪念とどう戦っていくか、それこそが、20代のボクに課せられた使命なのである。である。(である。)
ちなみに言えば、音楽も魔法のひとつだと思っています。