Dont feel,Think!

”若者の間では、スマホでの写真撮影を「インスタ」と言う”

Twitterでこの文章が回ってきたとき、自分がすでに”若者”というカテゴリーから、

外れかけていることを知った。

とはいえ、まだまだ”若い”とは思っている。

エッチなモノを見れるようになってから、まだ5年しか経っていないし、

お酒を飲み始めて3年くらいしか経っていない。

じじいどもからしたら、完全無欠の若者、もしくは若造である。

 

じじいでさえなくとも、20代後半の人々さえ、若いねー!とほめそやす。

そして必ずこう続ける。

 

「俺より年上かと思ったよ」

 

ああ、なんと愚かなのだ。

若者が全員痩せていると思ったら大間違いである。

彼の超大国では、4人に1人が重度の肥満であるという調査が存在する。

それに比べて日本のこのていたらくはどうしたものか。

そんなことだから、いつまでも燻っているのではないか。

 

しかし、1700年代、大変偉大なユダヤ人の学者は著書にこう記した。

 

”成長とは自己が生み出す現象であるが、老化とは他者が作り出す幻想である。”

 

まあ、嘘である。いま適当にこしらえただけだ。

しかし、こういうアホを言う学者が、一人くらいいたとしてもおかしくはない。

いままで何人学者が生まれてきたと思っているのだ。

学者だって伊達に数を打ってきたワケじゃなかろう。

 

なんの話しだっけか。

そうだ、若者のはなしだ。

 

僕は、若者からみれば、すでに若者ではなく、

すでに若者ではない人から見れば、僕は未だに若者なのである。

いや、若者から見た実態を知らないので、

例えば写メ(死語)をインスタと呼ぶような子達に比べると、自分の事を若者というのは、すこーしだけ違和感がある。

ざっくりと、上からのぞけばだいたい若者。

したからみれば皆おっさん。である。

そういえば、僕が15際歳ぐらいの時、23歳の人はちょっとオヤジがかって見えた気がしないでも無い。

 

今の時代、新しい言葉は若者から生まれる。

スマホで撮る写真の総称としての”インスタ”は、新語といっても差し支えないのではなかろうか。)

昔の詳しいことはよく知らないが、おじさんが使い始めた言葉っていうのは、あんまり知らない。

ざっくり「良い」みたいな意味の「おいしい」は83年?くらいの糸井重里の言葉なので、ぎりおっさんカウントで良いかもしれない。

ダウンタウンまっちゃんの色々も、おじさんになってからが多いのかな。

ちょっと怪しい。

だけどあれ?数だけで言えばおじさんもなかなか多い?

おじさんというか、一部の天才?

 

おじさんは、そこそこの数を生み、割と定着させていくスタイルだ。

それに比べて、若者は作っては壊し作っては壊し、の連続かもしれない。

気に入ったやつにみんながイイネしてくれれば、少しずつ、だけどものすごいパワーで広まっていく。そんなイメージ。

 

そして、最後にきがついたこと。

なにも考えないで書くと、まとめを放棄してしまうということ。

てんとう虫

おんなの足の甲に、てんとう虫が止まっていた。

女はベンチに腰掛け、サンダルを投げ出しアイスを食べていた。

女は、てんとう虫に気がついていなかった。

てんとう虫は、足の甲からくるぶしのあたりにぐるりと回り、なにやらまごついたと思うと、再び足の甲に戻ってくる。

そんな動きを2,3度繰り返すと急に羽を広げ少しだけ飛んだ。

てんとう虫は女のスカートの縁当たりに止まった。

膝より少しだけ下の当たりで、てんとう虫は黙っている。

もちろん、てんとう虫が言葉を話したことなんて無い。

けれど、そのてんとう虫はとても寡黙なやつに思えた。

 

女は、スカートの縁に止まったままのてんとう虫に気がついた。

じっ、と興味深そうに見つめると、すこしだけ口元が緩んだ。

女は、アイスを口にくわえ、脇に置いた鞄の中からてんとう虫のポーチを取り出した。

それを膝の上に置き、てんとう虫と一緒に写るように、スマホで写真におさめた。

 

アイスを食べ終わると、女はてんとう虫に手を伸ばした。

てんとう虫は女の手の中でじっとしている。

女は、さっきよりも注意深くてんとう虫を観察した。

触角だけが忙しそうに動き続けていた。

 

 

 

最近の僕は、

フィルムカメラが楽しい。

 

新品のフィルムを、箱から出す瞬間が嬉しい。

そのフィルムを入れるために、裏蓋を開けるのだって、なかなか良い。

フィルムをセットし、蓋を閉じる瞬間なんて最高だ。

 電池式のコンパクトカメラ(デジカメみたいな見た目の、画像確認用の画面が付いていないアレ)だったら、蓋を閉じると自動でフィルムを巻いてくれる。

「ジーーーーっ、カチョン」と音がして、それがたまらない。

 

電動じゃないカメラは、1回撮るたびにフィルムを巻かなきゃいけない。

でも、そのフィルムを巻く瞬間のワクワクったら無い。

その瞬間には、多分色々なことを考えていて、

今のはなかなか良かったかもしれない。

次はなにを撮ろうかな。

ちょっと失敗したかも。

とか、ワクワクを考える時間がある。

そういう無駄な時間の存在は、とても良いことのように思える。

 

でも、やっぱり一番嬉しいのは、写真を現像しに行く時。

どうせ、まだ上手に撮れないのはわかっているんだけど、あのワクワクはちょっと異常だと思う。

小学生の時、普通に「写ルンです」を使っていたはずなんだけど、現像の瞬間にここまでワクワクしていたかな。もう言ってしまえば、この時間のために、フィルムカメラを使っているんだと思う。

誰が言っていたか忘れたけど、「ライブのチケット代、8000円のうち、一番最初のあの一音に7000くらい払っている」みたいな事を言ってて、フィルムカメラもわりと似たような話だよな、って思った。

勿論職業としてのカメラマンや、ものすごくこだわりが強い人は除くけれど、そういったワクワクをカメラを媒体にして得ているのではないかと思う。

 

 

当たり前だけど、デジタルカメラが悪いとは思わない。

スマホのカメラなんて、人類が永遠に使い続けるんじゃないかと思うほど 、便利だ。

僕を含め、大学生の多くが、カメラを始めるきっかけとなるデジタル一眼なんて、誰でも驚くほどキレイでカッコイイ写真が撮れる。自慢じゃないけど、自分で撮影したなかにも、なかなか悪くない写真だって少しはある。

 

でもやっぱり、フィルムカメラで撮った写真とは違って見える。

それは、思い込みである可能性も大いにある。

それを差し引いたとしても、今の僕は、フィルムカメラに対して異様にワクワクしている。

フィルムだって安くない。現像するにも、フィルムを買うのと同じぐらいお金がかかる。

デジタルだったらバッテリーの充電にかかる電気代ぐらいの所を、多少無理しながら楽しんでいる。

 

無理してまでやることないでしょ。と言われれば、まあそうなんだけど、やっぱり多少の無理は気持ちいいのよね。自分はいま、ステキなことをやっている。ステキな写真ができあがるに違いない!なんて思うと、自己肯定感が高まっていく。

言い方を変えると、「ロマンがある」ということなのかもしれない。

人間は誰だって、ロマンを感じたいわけでしょ?

自分でもちょっとおかしいんじゃないか、と思っていることや、別にやらなくても良いことをやるのが、嬉しいでしょ?

音楽だって、映画だって、文章だって、最初はそういう所だと思っている。

かっこいいとか、カワイイとかってのいうのは、結局は大きくロマンの一部だもの。

 

このようにして、自分にエールを送ることによって、自分のなかのロマンを殺さないようにすことも、一つ大事なことかもしれない。ロマンの死こそ、人生の墓場かもしれない。

 

そんなフィルムカメラへの執着だって、半年もすれば消え失せてしまうかもしれないが、それはそれで良いと思っている。お金も時間も沢山使うことになると思う。

だけど、ロマンにだけしがみつくことさえ避ければ、悪いようにはならないはずだと思っている。ロマンを動かすのは、お金と、余裕だ。

 

それでも、自分に新しい家族ができたら、考えがガラリと変わるのかも。

 

 

 

思い出せ!あの子の香り!!

匂いは記憶と密接につながっている。

それは主に、付き合っていた人との思い出だったり、好きだった人の記憶であることが多いように思う。

けれど、その人の事を思い出していたとしても、その匂いを思い出す事は出来ない。

匂いは記憶を宿すが、記憶に匂いは宿らないのだ。

レモン、バラ、せっけん、と言葉に置き換えることは可能だけれど、脳みそにも鼻先にも、ちっとも感じやしないのだ。

 

それは、匂いが単一の情報だからではないかろうか。

試しにコンクリートの感触を思い出そうとすると、表面の凹凸や温度を感じることができた。正確に言えば、実際に感じたわけではないが、頭の中で再現はされる。

自転車のハンドルや他人の手のひらだって、同じように感触と温度を思い出す事が出来る。

感触×温度というかけ算によって、情報の信憑性が高くなっているのでないか。

 

でも、中には匂いを完璧に思い出すことができる人もいるのかな。

写真を撮るように、見たまま記憶できる人もいるし、絶対音感だってある。

絶対音感は比較的持っている人が多いような気がするから、感覚にはなんらかの序列があるのかもしれない。

いずれにせよ、記憶する能力とアクセスする能力の組み合わせだろう。

まあ、こんなこととっくに研究されていて、ちゃんとした資料を読めばわかることだと思うけど。

 

匂いを思い出すことができる人がいるとすれば、ものすごく羨ましいなあ。