東京都足立区鹿浜3-13-4

東京都内に関しては、離島や秩父などのエリアを除けば、だいたいは網羅しているつもりでいたけれど、なんだかんだ行ったことのない場所がまだまだ沢山あるんだなあと、おもった。

 

堀しゅんに誘われ、赤羽からバスで20分程度の「すたみな苑」というホルモン系の焼肉屋に行った。「食べログ4.0越えてるんすよ!!」と、かなり興奮気味に推された名店とのことだった。2時間並んで一人7000円払ったが、普通においしいが特にこれといった感動もなく、デザートに食べた杏仁豆腐だけが劇的においしかった。
もちろんコレは食べログは過剰評価だから信用ならん!!であるとか、所詮焼き肉なんてこの程度、といった事では無く、単に僕の焼き肉(特にホルモン)に対するリテラシーがかなり低めだったのが起因するのではないかと考える。(食べログは信用してないけど。)
ホルモンを知らない人がホルモンの名店に行っても、あくまでホルモンの域を出ることはない。相対的な評価によってのみ名店たり得る。特に大衆向けのお店では。
普段からホルモンを頻繁に食べる人間だったら印象が変わってたのかな。

 

どちらかというと今日の収穫はホルモンよりも赤羽、あるいは北区の町並みだったかもしれない。普段なかなか行くことのない東京都の極東エリアは、僕の生活圏とは明らかに雰囲気が違っている。歩いている人の服装も少しだけ違った。公園では沢山のこども達が遊んでいた。イトーヨーカドーはセブン&アイホールディングへ名前を変えていなかった。
何年かアップデートしきれていないままの町並みが少しだけ懐かしかった。
逆に言えば、普段の生活圏におけるあらゆるものが移り変わり過ぎですな。岡山の父の実家なんて15年前から何一つ変わってないもん。

 

北区、板橋区荒川区江戸川区への関わりが殆ど無いまま23歳になってしまっていたので、最低23区はだいたい把握しておきたい気がしています。(葛飾は立石だけ知ってる。)意外と東京も大きいですな。こんどあっちの方に遊びに行こうと思うので、誰か付き合ってください。

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くるちんたのちん2018

普段の生活の中で、色々と動き出しそうな気配が漂い始めていて、少しワクワクしています。一方、仕事は絶賛炎上中なので、消火活動&ひたすら堪え忍ぶだけなのだけど、ずーっとビクビクいているのは精神的にかなりしんどいです。
せっかく色々と楽しいタイミングに、それを相殺するようにしんどいことが起こっていて非常にもったいない。どうせならずーっと良い気分でいたい。そりゃそうか。

 

昨日の夜から今朝にかけて「ロシュフォールの恋人たち」をみた。
めちゃくちゃ長い訳じゃなく、昨日の夜半分見たところで寝落ちてしまっただけです。
映画見ながら寝落ちたのは「2001年宇宙の旅」以来。「2001年〜」は言わずもがなだけど、今回は「めちゃおもしろいやんけ!!」って思いながらスゥ…っと入眠していたので、やっぱりちょっともったいなかった。
「ララランド」みたいなハリウッド的ゴリゴリスーパークオリティみたいな作品も良いんだけれど、フリもちょっとずれてて、歌もそこそこで、楽器の当てふりも適当、だけど幸福と喜びと愛に溢れまくり、なにより最高が音楽で、こっちのが好きでした。オリジナルの強さみたいなものはあるよね。そしてやっぱり名作と言われる作品は順次潰していく必要があると再々確認。
フランス語って、意外と日本でも使われる言葉が多いから、フランス映画を見てて「あ、いま〜〜って言った!!」って分かることがあって嬉しい。ボンボヤージュとかマドモアゼルとか、ボナペティとか。

 

ついについに英会話に通うことを決意した訳ですが、ちゃんとモチベーションを保てるか少しだけ不安です。前に何校か体験に行ったまま気がついたら半年も経っていて、さすがにそろそろ(親の援助を受けられる内に)決めなければと言うことで。ひさしぶりにガッツリ勉強ということで、楽しみと言えば楽しみ。ひと月後くらいに僕に合ったら英語で話しかけてください。

 

今週末は雨森に色んな飲み屋に連れて行って貰ったんだけど、やっぱり合う合わないはあるかなーと思った。下北とか高円寺とか、バンドマンや劇団員とかが住み、憧れるような街は、どちらかというと合わないかもしれない。でも、サブカル好きの末席を汚す人間として、阿佐ヶ谷に住みたいというささやかな願いはぬぐえずにいるのです。(「サブカル好き」って全員末席感があるな、、、)ていうかユジクが好きなだけなのかも知れない。もしくは甘い思い出補正でしょうか。ゴールデン街はぶっちゃけ好きでした。

来週末にはまたイベントが控えているので、今週もがんばりましょい、、、、、。

Ake ome.

とうとう2018年になってしまった。やっぱりなにが変わる訳では無いのだけども、なってしまったものはなってしまったのだから仕方ない。

 

年末は父方の実家がある岡山で過ごしていた。毎年恒例である。
とにかく山の中にあるので(住所に『山の池』とはいっている)とても寒い。
あまりに山奥にあるため、携帯の電波さえ届かないのだ。(しかし、ついに今年からwi-fiが導入された。例年に比べ格段に快適であったが、もう逃げ場は無い。)

まあ山奥なので特にやることも無く、山から枯れ始めの乾燥した竹を大量に取って来ては、祖父母を除く一家四人でひたすらキャンプファイヤーをしていた。 到着と出発の日を除けば、三日間のうち、三日ともたき火に費やしていた。

 

1月2日からは三重のホテルに泊まり、伊勢神宮へお参りに。
伊勢うどんはデロンデロンなだけで、大した事無い奴なので、気をつけよう。

田舎では、どうやらベレー帽が流行っているということを確認した。若干ヤンキーのエッセンスが混ざっている家庭の女性は全員ベレー帽を被っていた。

ちなみに言うと、僕はベレー帽が心の底から大嫌いなので、一刻も早くこの流行が終わり、あのエスキモーが被っているような、もこもこの名前が分からない帽子人口が爆発的に増えてくれると嬉しい。

 

4,5日はせっせと働いた。年始早々、クライアントを怒らせてしまったため、生まれて初めて顛末書というモノを書いた。だけども、あまりに理不尽というか、しょうもない無いようなので、不用意にクライアントへ提出すると、怒られるとのこと。曰く、こんな内容で顛末書を書かせているということが、紙面に残るのは都合が悪いようで、もうなにがなんだかこれが社会の洗礼でしょうかといった具合に、自分のダメージも低めだったのがせめてもの救い。

 

そして再びの3連休へ。
ついにアプリでの出会いデビューを果たしてしまったのだけれど、まあ会ってみると普通の人間だよね、ということ。ただ、共通の友人が0という状態で、かなり新しいステージというか21世紀的な関係なので、多少なりとも気が合うと、いとも簡単にかなり親密になってしまうのでは無いかと思った。何をやっても表面上は二人だけの秘密として成立してしまう。

 

中日はプールで一生懸命泳ぎまくって、最終日本日は、スタジオ→中華(お昼)→ベローチェバルト9キングスマン)→おでん屋→安居酒屋(二次会)→下北のバー(終電まで)となんとも休日らしい充実ぶりだった。いままであんまり飲み屋とかバーとか、夜な夜な人々が集まるお店に行くことがあまりなかったので、かなり楽しい感じだった。お店が良かったのか、酔っ払っていただけなのか。今となっては分からない。

 

それでは皆さん、今年もよろしくお願いします。

 

 

ファーがついた真っ白のコート、チェックのスカート、ムートンブーツ

思えば小さい頃、我が家にはサンタクロースが来なかった。
クリスマスプレゼントは存在したけど、いちいち一芝居打つのがまどろっこしかったのかもしれない。そのせいもあってか、ぼくはクリスマスに対して特別な思い入れをあまり持っていない気がする。


恋人がいたときは、それなりに画策し、張り切っていたようにも思うけど、一人になると途端に無感動になってしまった。
ただ、あんまり季節感に疎くなるのも寂しいので、クリスマスソングは聴くようにしている。


千年紀末に降る雪は キリンジ

無数にあるクリスマスソングの中でも、サンタクロースの孤独と悲哀を歌った曲は他に耳にしない。
相当悲惨というかシニカルな歌詞なんだけど、サウンドでしっかりクリスマスソング感を出しているので、不思議と暖かくて、優しい曲に聞こえてしまう。

 

君が待つのは世界のよい子の手紙
君の暖炉の火を守る人はいない

とか

知らない街のホテルで静かに食事
遊ばないかと少女の娼婦が誘う

 

とか、随分な歌詞だよなーって思うと同時に、その光景、空気の温度、騒音、全てをありありと想像させるところが、僕にとってキリンジのすごいところであり、大好きなところだ。

 

確かに、サンタクロースの生活をまじまじと想像してみると、家族や友人と幸せに過ごしているとは思えない。変わり者や、特別な人(もちろんサンタクロースとまではいかなくとも)は良くも悪くも孤立してしまうイメージがあるので、僕の中では結構腹に落ちる設定なのです。友人はトナカイだけ。

 

「孤独」について考える時、深夜の新宿の喫茶店で、一心不乱に(そして無感情に)スマホをいじり続けるナンパ待ちの女の子のことを、どうしても思い出す。
彼女が幸せなのか不幸なのか全く分からないけれど、見知らぬ誰かを待ち続ける姿はどうしても孤独に映る。彼女の人生について僕は何も知らないけれど、誰かに声をかけて貰うことだけが自身を肯定する手段になっているのでは無いかと想像する。例え、一夜の性欲を満たすためだけに声をかけてきていると分かっていても。

 

そう思うと、やっぱり少し寂しいなと思うけれど、それはあくまで僕や一般社会の主観であり、彼女にとっては(少なくともその時点では)最善の方法なのかもしれない。
どんな形であれ、他人に必要とされる実感を持つことで、どうにか生きる活力を得ているのかも知れない。誘拐犯に移入してしまう人質のように。

 

あるいは、友人や恋人に恵まれた華やか生活を送りつつも、退屈しのぎとか、小遣い稼ぎのために、それらしい格好(ファーがついた真っ白のコートとチェックのスカートとムートンブーツ)をしているだけかも知れない。

 

水準はもちろん、いろんな価値観のいろんな生活があることを、ようやく理解しだした気がする。もちろん世界まで拡げれば想像の付かないような社会があるが(例えば、youtuberとしてマフィアのボスを中傷したことによって、16発の弾丸を受けて死ぬことになってしまったり)日本はおろか、東京の中にも本当に多様な生活が踊っている。

 

もっともっと他人に対して想像力を働かせていきたい。
メリクリ!ジェーンスー!

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