ファーがついた真っ白のコート、チェックのスカート、ムートンブーツ

思えば小さい頃、我が家にはサンタクロースが来なかった。
クリスマスプレゼントは存在したけど、いちいち一芝居打つのがまどろっこしかったのかもしれない。そのせいもあってか、ぼくはクリスマスに対して特別な思い入れをあまり持っていない気がする。


恋人がいたときは、それなりに画策し、張り切っていたようにも思うけど、一人になると途端に無感動になってしまった。
ただ、あんまり季節感に疎くなるのも寂しいので、クリスマスソングは聴くようにしている。


千年紀末に降る雪は キリンジ

無数にあるクリスマスソングの中でも、サンタクロースの孤独と悲哀を歌った曲は他に耳にしない。
相当悲惨というかシニカルな歌詞なんだけど、サウンドでしっかりクリスマスソング感を出しているので、不思議と暖かくて、優しい曲に聞こえてしまう。

 

君が待つのは世界のよい子の手紙
君の暖炉の火を守る人はいない

とか

知らない街のホテルで静かに食事
遊ばないかと少女の娼婦が誘う

 

とか、随分な歌詞だよなーって思うと同時に、その光景、空気の温度、騒音、全てをありありと想像させるところが、僕にとってキリンジのすごいところであり、大好きなところだ。

 

確かに、サンタクロースの生活をまじまじと想像してみると、家族や友人と幸せに過ごしているとは思えない。変わり者や、特別な人(もちろんサンタクロースとまではいかなくとも)は良くも悪くも孤立してしまうイメージがあるので、僕の中では結構腹に落ちる設定なのです。友人はトナカイだけ。

 

「孤独」について考える時、深夜の新宿の喫茶店で、一心不乱に(そして無感情に)スマホをいじり続けるナンパ待ちの女の子のことを、どうしても思い出す。
彼女が幸せなのか不幸なのか全く分からないけれど、見知らぬ誰かを待ち続ける姿はどうしても孤独に映る。彼女の人生について僕は何も知らないけれど、誰かに声をかけて貰うことだけが自身を肯定する手段になっているのでは無いかと想像する。例え、一夜の性欲を満たすためだけに声をかけてきていると分かっていても。

 

そう思うと、やっぱり少し寂しいなと思うけれど、それはあくまで僕や一般社会の主観であり、彼女にとっては(少なくともその時点では)最善の方法なのかもしれない。
どんな形であれ、他人に必要とされる実感を持つことで、どうにか生きる活力を得ているのかも知れない。誘拐犯に移入してしまう人質のように。

 

あるいは、友人や恋人に恵まれた華やか生活を送りつつも、退屈しのぎとか、小遣い稼ぎのために、それらしい格好(ファーがついた真っ白のコートとチェックのスカートとムートンブーツ)をしているだけかも知れない。

 

水準はもちろん、いろんな価値観のいろんな生活があることを、ようやく理解しだした気がする。もちろん世界まで拡げれば想像の付かないような社会があるが(例えば、youtuberとしてマフィアのボスを中傷したことによって、16発の弾丸を受けて死ぬことになってしまったり)日本はおろか、東京の中にも本当に多様な生活が踊っている。

 

もっともっと他人に対して想像力を働かせていきたい。
メリクリ!ジェーンスー!

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